アンネローゼ |
「ラインハルトが哭いてばかりでさぞ迷惑をかけているのでしょうね,ジーク」
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キルヒアイス |
「・・・・・・いえ,そのような」
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ラインハルト |
「一牌もツモっていないのだろ? 本心を言っていいのだぞ」
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アンネローゼ |
「ラインハルト,だめよ,手が進んでいないジークをからかっては.そうそう,シャボトイトイ子爵夫人からカンさせていただいたおいしい緑色竹林牌(カンツローソ)があるの.カンドラになるはずだから表示牌をめくってくれないかしら? 麻雀帝国元帥閣下に雑用を頼んで悪いけど」
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ラインハルト |
「姉上こそ私をからかうんですね.ええ,何枚でもめくりますとも」
気軽にラインハルトはカンドラ表示牌を裏返すと,用をたしに行くと言って席を立った.
後にはアンネローゼとキルヒアイスが残った.アンネローゼは弟の雀友に優しい微笑を向けた.
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アンネローゼ |
「ジーク,弟がいつもお世話になっていますね」
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キルヒアイス |
「とんでもありません,哭きやすい牌を一方的に打牌しているのは私です.それに貴族雀師でもない私がこのような卓を囲ませていただけるなど,身にあまると思っております」
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アンネローゼ |
「・・・・・・もうテンパイでしょう? 背中が透けていますよ.おめでとう」
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キルヒアイス |
「あっ・・・ありがとうございます」
表情を隠し切れなかった己の甘さをキルヒアイスは自覚した.
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アンネローゼ |
「弟は符計算を把握していないし,あるいは本人も気づいていない役の数え忘れもあるかもしれないから,ジーク,あなたを本当に頼りにしています.どうか,これからも弟のことをお願いするわね」
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キルヒアイス |
「恐縮です,私などが」
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アンネローゼ |
「ジーク,あなたはもっと積極的な麻雀をすべきですよ.弟には強運があります.たぶん他の人間に言わせれば『凶運』が.でも,弟はあなたほど麻雀のルールに強くありません.自分のドラ爆におぼれて『役なしドラのみ』でアガろうとする素人ような,そんなところがあります.これは弟が牌を握り始めたときから知っている私だから言えることです」
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キルヒアイス |
「アンネローゼさま・・・・・・」
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アンネローゼ |
「どうか,ジーク,お願いします.ラインハルトが役無しチョンボをすることのないよう見守ってやって.先ほどみたいにわたしが打牌する前に表示牌をめくろうとしたら,もしそんなきざしが見えたらその手をつかんでやって.弟はあなたの忠告なら受け入れるでしょう.もしあなたの言うこともきかなくなったら・・・・・・そのときは弟も終わりです・・・ハコです.トビです.チョンボです.どんなにドラ爆があったとしても,それにともなう腕がなかったのだと自らの点棒をもって証明することになるでしょう」
アンネローゼの美貌から,すでに微笑は消え去っていた.弟のそれより濃いサファイア色の瞳は玄人の研ぎ澄まされた危険な眼光になっている.
見えざる威圧感が心の上を滑って,この上ない恐怖をキルヒアイスに与えた.そうだ,いまは10年前ではないのだ.ラインハルトと自分は待ちの雀師ではなく,アンネローゼも家庭的な一雀師ではない.雀帝の腹心と帝国雀帥とその副官.賭け麻雀の芳香と腐臭を同時に嗅ぐ立場にいる三人の雀師・・・・・・.
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キルヒアイス |
「わっ・・・私にできることでしたら何でもいたします.アンネローゼさま」
キルヒアイスの声は,動揺を抑制しようとする主人の意思にかろうじてしたがっていた.
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キルヒアイス |
「ラインハルトさまに対する私の忠誠心を信じてください.決してアンネローゼさまのお心に背くような打牌は致しません」
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アンネローゼ |
「ありがとう,ジーク,ごめんなさいね,脅しみたいなことばかりして.でもあなた以外に絶対服従・・・いえ,頼る人はわたしにもいません.どうかゆるして下さいね」
わたしはあなたたちにアガってほしいのです――胸中でキルヒアイスは呟いた.10年前,貴女に 「弟と卓を囲んでやって」 と言われた瞬間から,ずっとそうなのです・・・・・・.
10年前! ふたたびキルヒアイスの心は痛む.
10年前に自分に今の麻雀の腕があれば,アンネローゼを決して雀帝の手などに渡しはしなかった.万難を排して,姉妹をつれ,多分,自由雀師同盟に逃亡していただろう.いまごろは同盟軍の雀師にでもなっていたかもしれない.
その当時,自分には流れを読む能力もなく,自分自身の役すらはっきり把握できていなかった.いまはそうではない.だが,10年前以上に,ロンができなくなってしまった.ツモ運は良くなっているのに・・・・・・人は,雀師はなぜ,狙う役にとってもっとも必要なとき,それにふさわしいツモをすることができなにのだろう.
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ラインハルト |
「・・・・・・もっと使いやすい牌をきっていてくれればいいのに」
その声が,ラインハルトのもどって来たことを告げた.ラインハルトはアンネローゼの捨てた牌を不平を言いながらも哭くと,迷うことなくソウズを打牌した.
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アンネローゼ |
「ロン,ご愁傷さま.哭いて飛び出る当たり牌ね.でも食い下げたけど翻数は結構あってよ.役を数えるわね.ええっと,清一,トイトイ,三暗刻,ドラ4,あら? 数え役満に・・・・・・」
このような強気の麻雀を打つアンネローゼと卓を囲む時間を,わずかでも持てたことを幸福に思うべきなのだ.キルヒアイスは自分の気の優しさをあのように直さなければ,とそう言い聞かせた.実の弟からなんの躊躇もなく役満を,しかも四暗刻を崩しての数え役満をアガれるアンネローゼをうらやましく思わなければならないのだ・・・・・・
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